一八八三年(明示十六年)八月二十七日、山形県松山町山寺の江戸前期以来代々名主格の旧家に生まれた阿部次郎は、旧制の一高(第一高等学校)時代に、斎藤茂吉や安倍能成、岩波茂雄などと親交を結び、早くから深い思索に耽っていました。そして、東京帝国大学の哲学科を卒業後、夏目漱石の作品批評によって名声を博し、漱石門下に入って小宮豊隆らと親しみ、一九一一年(明治四十四年)に、合著『影と声』を出版して反自然主義の論陣を張るようになりました。
なかでも、一九一四年(大正三年)に発表した、深い思索と精神的苦悩を基調とした自己省察の記録である『三太郎の日記』は、当時の若者たちの圧倒的支持を受け大ベストセラーとなりました。そして、これによって阿部は独自の理想主義を確立したわけですが、やがてそれは有名な「人格主義」へと展開していきました。
「人格主義」というのは、世界観および価値観の中心に「人格」という概念を据える思想のことです。このような人格主義的な思想は古くからありましたが、二十世紀に入ってからは、フランスやドイツの「実存主義」などと結びつき、人格概念の擁護と社会参加の要請という大きな流れとなっていき、人間の個性を認めぬ「国家主義」や、孤立して他社に対して開かれぬ「個人主義」、人間の生の諸条件を直視せぬ「精神主義」などと、鋭く拮抗するようになりました。阿部次郎は、日本におけるこの「人格主義」の代表者のような存在となり、『三太郎の日記』はまさに「大正教養主義」の代表作として、当時の学生や青年層にとっての近代的自我覚醒のための必読書となっていったのです。
– 『武士道解題』李登輝